クリスマスが嫌い
嫌いというほどではない。
と、いきなりタイトルは何なんですかって話ですが。
キリスト教でもないのに、クリスマスYeah!な空気が好きじゃない。関係ないじゃん。そういうのが意味がわからない。だからクリスマス自体は嫌いではないけどってただの面倒くさいやつですね、私。一種のお祭りとして素直に愉しめばいいんですが。
そんなことを言いつつも、子供のときはやっぱりクリスマスが楽しみだった。ケーキやプレゼントは嬉しい。
幼稚園のクリスマスの日かなんかに先生が問いかけると、他のみんながサンタさんからプレゼントをもらったと話してるのに、自分はもらえなかったので自分は悪い子なんだと悲しくなった記憶がある。それがクリスマスに関する最古の記憶。
その記憶はそのときだけなので、多分その次の年から自分ももらえるようになったんだろう。家でそんなことをいったのかもしれない。プレゼントがもらえなかった私は悪い子なのかしらと。
そしてもらえるようになってからはサンタさんへ手紙を書いたりもした。手紙は持っていってくれなかったので、読んでもらえなかったんだ。と、寂しい思いをした記憶もある。
プレゼントが欲しいものじゃなかったときは驚く。えっ、こんなの頼んでないけど何でだろうって、無邪気な私は親のいるところで言ってしまったかもしれない。
そうしてサンタの存在を小学生高学年まで信じてたように思う。嫌いとか言っておいてたくさん思い出がある。
大人になってからも恋人とのイベントとして都合良く使わせてもらった。クリスマスにかこつけてデートの約束をしたり、プレゼントやケーキを用意したりしてたと思う。あんまり覚えてないけど。
でも今はしていない。だって関係ないじゃん。ってなってクリスマスプレゼントはあげなくなった。
つい最近、妻へのプレゼントを用意したけど、クリスマスだからってわけじゃないもんね!と意地を張っている。
そして、そのプレゼントはもうあげた。あげたいんだからあげるんだ。今週から産休に入ったから、お疲れ様の意味なんだ。たまたまなんだって感じ。まあ、もはや言い訳みたいなもんですが。
クリスマスについての考え方は前から話してるので、無かったとしても何とも思われないはず。去年もあげた記憶がない。
逆に何でもない日に思いつきであげたりしてる。
妻にはそれで都合がつく。でも、子供はそういうわけにもいかない。
もらえなかったら、私と同じように悲しい思いをしてしまうかもしれない。自分は悪い子なんだと。もう、いろいろなことがわかるようになっている歳だ。
だから悩ましかったけど、煙突のない我が家にサンタなんて入れないよ。世の中のサンタさんは実は・・・、なんて言わずに去年はプレゼントをあげた。
今年はまだ何も用意してないけど、きっとあげるだろう。豪華じゃないけど。去年はアンパンマンのラムネと動物園で買ったタオルのセットだった。
そんなものでも起きて見つけたらすごく喜んでプレゼントあったよ!と報告してくれた。あれは可愛い。今年もきっと喜んでくれるだろう。
何あげよ。