育児の愚痴を批判する人への愚痴
育児に対して愚痴を言う人に対して、意味がわからないと批判している人がいた。
育児が大変なんてことは誰だってわかってることで、そんな愚痴ばかり言うなら子供なんて作らなきゃいいじゃないか。そんな話だった。
しかし私はそんな愚痴もいいかと思っている。
確かに育児が大変なんて話はずーっと色々な場面で聞かされてきた。
それは親だったり、テレビやネットなどのメディアだったり、子持ちの友人だったりするんだろうけど、みんな口を揃えて言うから誰から聞かされたのかもうわからないくらい刷り込まれている。
でも、どんなことが大変とか、どんなふうに大変かなんて実際のところあんまりわからない。
経験してみないとわからないことなんてたくさんある。
一人暮らしして初めて親のありがたみが分かるなんていうのもよく聞く話だ。これだってみんな言うことだからわかってるはず。
同じこと。
イヤイヤ期がどれだけストレスが溜まるのかなんて、実際に子どもと過ごさなければわからない。
今後大変だろう思春期の反抗期だって子どもによっても違うだろうし、どれだけ悩まされるかなんて実際に経験しないとわからない。
そんなことを昔から人は井戸端会議なんかで発散しあってきたんじゃないのか。
それがSNSやブログなんかにうつってきてるだけで。
例えば「イヤイヤ期しんどい」なんてつぶやきに、誰かがイイねとか「大変だよねー」とかコメントくれたりして、仲間がいるって思えたりして少しでも育児が楽になったらそれで良いと思うんだ。
もしかしたら良い発散方法とか対処方法とか先輩たちが教えてくれるかもしれないし。
多少の愚痴は許して欲しいなーと思います。
逆になんでそんなに冷たいんだろうか?
子どもを育ててるのは偉いなんてことは思わないけど、この少子化の日本だ。もっと暖かく見守ってくれたって良いものだと思うのはおこがましい考えなんだろうか?
会社でやる気なくしてたけどブログ書いてたら原因わかってスッキリしたよ
メインブログの記事を書いてたら何故この数年やる気が出なかったのか原因がハッキリわかった!
メンタル弱ってやる気ない自分ダメだって方向に行ってたけど、そうじゃなかった。
能力を発揮しても得しない環境だったからだった。
現場での評価と社内の評価のズレに対しての違和感を感じていた。その違和感を大事にすべきだった。
顧客からは引き抜きの話をいただくくらい評価されたのに、リーダーじゃなくなったからという理由で評価が下げられた。
これがずっと心のなかでは違和だったんだろうなー。 とにかくスッキリ。
これで苦手な上司と戦える。話が噛み合わないので憂鬱だったが、今週会うのが楽しみになってきた。
やっぱり噛み合わなくて頭ごなしに否定される不毛な時間になるかもしれない。
前回まではこっちもハッキリとした答えがないから押し込まれて終わるという残念なまま終わった。
やめさせる作戦なのか? それが作戦だったらズバリ当たってるので分析力スゴイってなるんだけど。
信頼してない人にただただ否定されても「おお、なるほど!」とはなかなかならない。信頼してる人はコチラを理解しようとしてくれる。スタートが違う。
向こうは辞められたら評価さがるから保身のために引き留めようとしてるだけ。それでいてお前のことを考えていってるんだ感を出してくるから非常に不愉快だった。
「お前に辞められたら俺の評価が下がるんだよ!」って言ってくれる方がよっぽど好感が持てる。
昔の現場に戻ろうとしてることを話したときに「人脈がもったいない」なんて言われたけど、ずっと社外にいたんだから社外のほうがたくさんある。
しかも外に出て使えない人脈なんて人脈なの?
その程度の関係なら最初からないようなものだ。確かに知り合いの数で言えば社内のほうが多いかもしれないけど、ただの知り合いなんてそんなの人脈じゃない。
今回はこっちも回復してるのでもう負けない。
こちらからの問いに対してどう答えてくれるのか見ものだ。
自分の力を最も発揮できるところが会社の評価軸とズレてるのに頑張れなんて言われても頑張れない。
ひねくれてるので「何しに来たんですか?」なんて言っちゃいそうだ。
会社員やめようと思っていたけど会社員でも自分のスキルを発揮して評価さえしてもらえる環境があれば頑張れそうなことに気づけた良い一日。
上司に退職の意向を伝えて言われたこと
先日、家族に会社をやめたいと伝えた勢いのまま上司にも伝えた。
展開が早い!!
まだ言うつもりはなかったのだが成り行きでつい言ってしまった。どんな成り行きだよ!って感じですが、仕事を更に振られると聞いてマジかよ・・と呆然としていたら大丈夫か聞かれてそのときに退職しようと思ってることを伝えた。
なんせ定時でも嫌だと言ってるのに既に19時まで働いてる。そして振られたのは23時まで残業してる人たちのヘルプだ。 これは完全にブラック。
障害対応のように緊急の仕事なら深夜残業も何度かあるけど、今まで連続で23時まで残業ってしたことない。
上司も急で驚いただろう。そんなこと考えてたのかなんて言われた。 以後、上司との会話。
なんで辞めたいの?
気力がわきません。
どこ行っても同じだろ笑
もうシステム開発はやりません。
その年齢で別業界は給料下がるよ
はい。お金の問題じゃないので。 (この会社にいても評価低かったら下がりますよね?)
引き留められないんだよね?引き留められるなら引き留めたいんだけど
う~ん、そうですね。 (一緒に仕事するのこれが初めてで特に恩義とか感じてないし。合ってない感たっぷりだし。)
なんで来たんだよ
(これはごもっとも・・。) プロジェクトが変わったら変わるかと思ったんですがダメでした。
連れてくるの大変だったんだぞ
(元々は4月参画予定だったのがなかなかまとまらず伸びたもんな)すみません。 あと残業が嫌いって理由もあります。
この業界にいたら無理だよ。残業が嫌だからって1人だけ特別扱いする訳にはいかない。メンバー間で平準化しないと。
だから辞めるんです。 (うわ〜、諦め思考だ。何もゼロにしろとは言ってない。それはさすがに難しい。でも21時以降まで残業したことってそんなにないぞ今まで。やっぱり合わないな〜。いや、他のメンバーたちはどう思ってるんだ?ついていけてるのかな?)
そうか、まあ自分も転職組だからなんかあったら相談して
はい、ありがとうございます。
こんな感じでしたー!
今回の残業のくだりでますます上司とは合わない認識が強まったので良かった。あとは時期をいつにするとか決めないとっていうか決めてから話すべきだけど。
今月中に言えば最短で8月末にプロジェクト離任して手続きかなんかして有給消化で10月頭くらいに退社になりそう。
退職したいって妻に話した結果
家族3人でスーパーの休憩スペースで食事をとってゆっくりと雑談していた。
何気ない日常。他愛のない会話。 そんな中、唐突に切り出した。 話したのはブログに書いたことをほとんどそのまま。
最初は残業がそのうち23時くらいになりそうなことから話し始めた。そして仕事が楽しくないこと。嫌で嫌で仕方なく、手を抜いていること。今は精神的に安定してるけど、また追い込まれてしまう恐れがあること。やる気がないからこのまま会社にいても評価してもらえず給料は下がる可能性が高いこと。好きなことをやって頑張りたいこと。
流れは違ったかもしれないけど、内容はホントそのままだった。 ブログにまとめたことで、頭の中もスッキリまとめられてたんだろうな。さすがに保険金のくだりは言わなかったけど。妻は少し目を潤ませていた。
「そんなに身を粉にして働かなくても」そう言って、 会社を辞めることを認めてくれましたー!!
自分も話しながら涙が溢れそうになったよね。なんか。
わたしの妻は変わっているのかもしれない
反対したり否定したりすることは一切なかった。普通ならもっとなんかこう・・色々あるよね。うん。
本人に驚かなかったのかとか、抵抗はなかったのか聞いてないけど、ずっと前から示唆してたのが良かったんだろう。
あとは今まで資産運用とかお金の管理について認めてくれていたので、それも効いたのかもしれない。1番は自分と違って楽観的な性格にあるんだろうけど。
唯一言われたのは「チャレンジする期限は決めてほしい」これだけ。 そして最悪自分が残業すれば良いと言ってくれた。いや、それじゃ夫婦入れ替わっただけで意味ないのでさせないけど。
本当にありがたい
頑張らなくては。 しかし辞めることがグッと現実のものとなってから急に不安ももたげてくる。 そう言って何も出来ないでいると今までと何も変わらないので、とにかく前へ進む。 どうせキツイのはどちらも同じなら楽しい方を選んだほうが良い。そんなとき会社辞めた先輩がたのブログは勇気になるし、参考になる。 自分も後に続く人の勇気になりたい。
今日はやめたろーさんのブログを読みまくっていた。共感できて楽しい。 http://kaishayameruzo.com/archives/508
幸せって?
人は幸せになりたい。
そう意識しているかどうかは別にして、不幸になりたいなんて思う人はいないだろう。 メンタルを少しやられて苦しみ、もやもやとしていた今年の春頃に仕事もなかったので「幸せって何だ?」なんてことを日々考えていた。
愛する家族がいるにも関わらず幸福感を感じられていなかった。 サイテーな夫&父親である。
幸せは多分なにげなくて 満たされた時は顔を隠す
こんな歌もある。
満たされすぎて見えなくなっていたのかもしれない。子どもが遊ぼうと寄ってきてくれても、勉強したり、読書したり自己研鑽のための時間を優先したかった。成長してもっとお金を稼げるようになって、楽な生活になってとか考えていた。それは将来のためと思っていたけれど、子どもの今は今しかない。子どもの成長は早いのだ。
当たり前の話だ。
それに妻とは順調なら何十年もこの先一緒にいるはずだけど、それも何があるかわからない。 今を楽しまなくてどこに幸せがあるというのか? 幸せなんて概念でしかない。 愛する家族や仲間たちと楽しい日々を過ごす。 それだけで良いんじゃないのか?
もっと欲望のままに生き、頑張るのは一人でいるときで良い。家族といるときは家族ととことん楽しむ。 家族で笑って過ごせてればそれで良い。
それが幸せだ。
気持ちの持ち方ひとつで全然違う。 こんなの当たり前の話なのかもしれない。
でも自分はようやく行きついた。 だから最近は以前よりも積極的に子どもと遊ぶようになった。
楽しい。
今までと違ってその時間を過ごすことを大事にできている。子どもと遊びながら「勉強したいな」なんて考えたりしない。家族と過ごすときに無駄な時間なんてない。いっぱい遊ぶせいか、前よりも子どもが懐いてる気がする。 気のせいか言うことを聞いてくれることも増えたようにも思える。
今日は妻が掃除をしてくれている間に子どもにせがまれて外でなわとびをした。 短い時間だったが嬉しそうだった。
そんな小さな幸せを感じ、積み重ねながら過ごしていきたい。おしまい。
自分の歌声が好き
メインブログの方でも書いたとおり、独学で歌が上手くなるためには自分の歌声を録音して聴いて色々なズレを修正していくのが1番良いと思ってる。
ボイトレスクールに通ったとしても、自主練は必要だ。
遠回りのようだけど、天性のセンスがある人でもない限りは地道にやっていくしかない。まずダメなところを把握しないと、どう強化していいかわからないし。
簡単にうまくなる方法なんてない。
コツを掴みやすい練習法なんかはあるかもしれないけど歌にもあらゆる要素があって全てを一度に出来るようになるなんて不可能。
そう思って今でもスマホで録音している。
この作業は結構辛い。自分の声、歌の良くないところと向き合わなければならない。
上手くいってるなら良いけど、一曲通して満足できた歌なんて一度もない。
どれも耳を覆いたくなるような箇所が必ずある。音が外れてたり、声が悪かったり、低音↔高音の切替がスムーズじゃなかったり、それはもう様々だ。
一個一個修正していく必要がある。
しかし最近自分で聞いていて良い声だと感じるところがある。聴いていて心地良い。ほんの一部だけど。
ミックスボイスが良いようだ。ほんの少しハスキーでキンキンしている。自分が歌う歌のボーカリストの中だとGReeeeNの声が一番近い気がする。
歌い方はGLAYなんだろうな。一番好きで聴いてきてるんだからそうなるのも当たり前だ。
ENDLESS RAIN(X JAPAN)のサビはなかなか良い声で歌えてるんじゃないかと思っている。
しかしどの曲も全体的に素人っぽさが抜けないのが残念である。
これは声量が足りてないのが原因じゃないかと思ってる。
プロじゃないんだから、バンドやるわけでもないんだから声量なんて良いやと鍛えようとしてこなかった。
ベースとなる息の量が足りてないから、サビはまだしも歌い出しとか優しく歌おうとするときに声が悪くなってしまう。
かといって歌い出しから息の量を多くすると、サビとギャップがなく抑揚のないつまらない歌になってしまう。
そんな分析をしてるけど素人なのでわからない。やっぱりたまには知識のある人に聞いてもらいたいものだな〜。
息の量を増やすためのトレーニング法もボイトレスクールで習ったことがあるが、地味でしんどい。
息だけでスー!と歌う。声は出さないので歌じゃないかもしれない。全力で息を出す。めっちゃ苦しい。
運動部の基礎練習みたいだ。辛いし楽しくない。でも結局はこういう基礎練習をちゃんとやれるかどうかって大切なんだろうと思う。
そうやって自分の満足する部分を増やしていく。
やっぱり歌は楽しい。
はてなアマの迫害
このブログをスマホで見て驚いた。広告がすごいことになってる。レイアウト崩れまくり。
こんな広告入れた記憶ないのに。
調べてみたらレスポンシブモードにしてたせいらしい。スマホで見てもPCと同じデザインで見えるってやつ。
しかしはてなが勝手に入れる広告はスマホと同じ箇所に入れるらしい。そのせいか、よくわからないところに広告が出てて、しかも広告同士が重なってたのは。
はてなアマの私にはこの広告の表示を消せない。アマチュア野郎はレスポンシブモードを使うなということだ。
ただで使わせていただいてるんだから仕方がない。
単純だけどメインが白を貴重としているので、裏っぽく、反転させて黒をベースにしたデザインを使っていた。
アマチュアはスマホ版のデザインをいじれないようなのでレスポンシブモードならスマホでも黒にできるじゃん!と使っていた。メインブログもレスポンシブを使ってるし。あまり考えずに。
まさかこんな状態になっていたとは。ちゃんとチェックしないとだめですね。
このブログは収益目的じゃないし、メインブログが黒字じゃないのにプロになったら破産するのでまだプロにはなれない。
ってことでレスポンシブモードやめました。今度はおかしくなってないはず・・。見づらくてすみませんでした。
ツイッターでのブログ更新通知の悩み
悩みってほどの話でもないんですが、どうしたもんかとブログ更新のたびに思っている。
今までtwitterでブログの更新通知をしてきた。それがなかったらPV数はほぼゼロだったんじゃないかと思う。
最近は検索流入の割合が増えてきたとはいえ、それでもtwitterに頼っている部分は大きい。
それに一番大きいのは読んだ人からのコメント。ブログ本体で頂いたコメントは未だゼロだけど、twitterの方には頂いている。
twitterのほうが気軽に書きやすいんだろう。私自身もブログ本体のコメントはほとんど使ってないけど、twitterの方には時々コメントしたり引用ツイートしたりしている。
こうしたコメントを頂けるときがブログを読んでくれている人がいると一番実感できるとき。
そんなわけでtwitterにはお世話になっている。
しかし、ブログ更新通知をすることが果たして正しいのか。正解なんてないし好きにしろって話ですが。
ブログにもtwitterをフォローできるようリンクを載せているし、私がブログ経由でフォローした人は更新通知を期待している。
だからくだらない記事でもなるべく通知するようにしてきた。
果たしてそれが良いのか?
たまにブログの更新通知しかつぶやいてないときがある。
twitterはブログからフォローしてくれた人ばかりじゃない。というか、ブログ経由の人はほとんどいないんじゃないかと思う。
フォローしてたら、たまたま更新通知を見てブログを読んでもらえたってパターンが多い気がする。
だからツイートが更新通知ばかりになるとノイズでしかないんじゃないかという心配をしてしまう。
そんなわけで最近はツイートの仕方を変えてみている。
前はシンプルに書いたこととタグを単語でつけていただけだったけど、今はつぶやきの中にブログ記事へのリンクをつけるようにしている。
記事を書いたからには何かしら言いたいことテーマみたいなものがあるはずで、そんなことをつぶやきながら、さり気なくリンクをつける。もしくは書いたことを伝えつつ、リンクはつけなかったりもしてる。
そのおかげかtwitterからの流入は若干減っているようだ。でもそれでも良い。
人気者なら別だが、通知ばかり来てもうんざりするだろう。私も交流がなく通知ばかりの人で好きなブログでもなけりゃフォローする意味を感じない。
それにブログのPVも大事だけどtwitterのフォロワーも大事だ。交流が楽しい。
相互フォローしていると下手な友達よりも近況を知っているような気になる。勝手に親近感。
それに普段の生活では出会わないような人とも出会える。楽しい。
結局よく見るブログってそういう交流してる人のブログなんだよなあ自分の場合。
このブログすげええ!って思ってブックマーク登録しても、ホントに気が向いたときにしか見なかったりするけど、交流ある人はほぼ毎日見に行く。
つながりがあると親近感があって友達みたいな感覚になるからかな。
仲が良ければ良いほどフェイスブックとかでも投稿を見たくなるもんな。
あれっ、今日は誰々さんのブログ見てないなってな風にチェックして、更新がないとちょっとガッカリしてしまう。
このブログは一切通知してないし教えてないこともあって、気づかれてない。(唯一の読者になっていただいているゆあさよさんは気づくのめちゃ早かったけど。)
せめてメインブログにリンク置いてもいいんだけど、気づかれてないからこそ書きやすいこともあるし。
メインの方はフェイスブックでもブログの通知するか迷ってることもあって、その人たちにここを見られたら嫌だなーという思い。
フェイスブックには上司とか前のプロジェクトのお客さんとかいるからな。
会社辞めれば別に何でも良いんだけどね。
そういえば昨日更新した記事は通知してないな。
もう良いか。もし気が向いたら後でやろう。
スマホが欲しい
スマホでブログを書くことも増えてきた。最近のこちらのブログはスマホで下書きをして家でちょっと直してから公開している。
入力遅くてイライラしそうという理由でやってなかったけど、やってみたら案外平気だった。
今月から仕事の現場が変わってPCからブログを更新できないので日中ブログを書くには仕方なかった面もあるんだけど。
しかし、スマホのワードプレスアプリで下書き→PCで更新&公開→スマホで修正しようとしたら、スマホアプリが同期されてなくてほぼ下書きの内容で公開中の記事が更新されてしまい、焦った事件があった。
バックアップからすぐ戻せたとはいえ、気をつけないと。
はてなの方は一回閉じるとまた記事を開き直さないといけないようになってるみたいだから大丈夫そうだな。
そんなわけで今もスマホで書いている。仕事の休憩中、通勤中の隙間時間でも書ける。
しかしこのスマホは古い。まだスマホ一台目で機種変更したことがない。時折処理が遅くてイライラすることがあるし、電池の減りも早い。
新しいスマホが欲しい。
ブログ書くからというこじつけの理由でまた散財してしまうのか。ポメラ買ったばかりだというのに。
でもSIMフリースマホって性能が劣ってる。いいやつもあるんだけど、おサイフケータイ非対応。なんで?
大手携帯通信3社がメーカーに開発資金を出してSIMフリーでは出させないようにしてるんだろうか。
SIMロック解除すれば好きなの使えるんだけど面倒だ。中古はあんまり買いたくないし。
iPhoneはおサイフケータイの対応遅かったな〜。Android使ってるうちにGoogleのアプリの使いやすさから離れられなくて、もうAndroid以外は考えられない。
ガラケーからスマホに変えるときに電子マネー対応してたらおそらくiPhoneにしてたのに。ネックはおサイフケータイに対応してないことだけだった。防水も欲しかったけど、そっちは大した問題じゃない。
旅行記
最近何かをネットで調べるときにブログを読むことが多い。「○○ ブログ」なんてふうに。
Amazonのレビューなんかでは薄いし、売る側の可能性もあるけど、ブログだと情報量も多くて生の声が聞けると参考になる。
そんなわけで今回旅行に行くにあたってもブログを読みあさった。
検索してもそんなにブログがヒットしなかったから、今回行く宮崎は旅行先としてはレアなのかもしれない。
確かに中途半端な気がする。東京からわざわざ行くなら沖縄とかもっと南の島に行けばいい。九州にしても福岡や長崎、熊本などもっと観光地らしいようなところがたくさんある。
※あくまで私のイメージです
宮崎に行くって言っても巨人軍のキャンプ場、マンゴー、地鶏、シーガイアくらいのイメージしかないから、どこに行けばいいのか観光スポットがわからなかった。
じゃらんとか旅行サイトで紹介してるけど、お金もらってるメディアは誰の方を向いて記事を書いてるのかわからない。
ブログでもあんまりきれいにまとまってると広告収入目当てで勧めてるだけな印象を受けるので安心はできないけど。
嘘や度が過ぎる誇張は良くないね。生の声、素直な感情、事実これが大事なんだなー。
脱線してしまったが、とあるブログを読んだ。
そのブログ記事はただひたすらに文字の羅列だった。改行がない。
その文字ばかりの画面を見て「うへぇ」と思い尻込みしたが、私は情報を欲していたので読んだ。
文字数が多いぶん情報も多かった。きっと起きた出来事をそのまま残したんだろう。写真も絵もないので想像するしかないのだが、人の旅行を覗いているようだった。
その人がどこに行ってどう感じたかつぶさに記されていた。面白かった。
ホテルでベビーベッドを急遽貸してもらったとか、子どもが嘔吐してしまったがすぐに対応してくれたとか、事実が並べられているだけだったが、ホテルの対応の良さが見えてくる。
安心してそのホテルに泊まれる。
ブログは読んでもらうために文章とか見栄えが大事って言うし、自分も文章力の本とか買ってきたけど、ほんとにほしい情報なら文章力なくても読むんだよなあ。
競合が他にもたくさんいれば読みやすい方に行くだろうけど、そこでしか読めないものがあれば読む。
ありがたいことに文章が読みやすいってお褒めいただくことが何回かあったけれど、コンテンツについて褒められたことって少ないので中身のある投稿をしたいものだ。
面白い文章を書くのは諦めてるけど、せめて中身。あとウソは書かず信頼してもらえるように。
そんなわけで私も宮崎旅行記を書こうと思う。誰か旅する人のために。
感情って楽しいんだね
更新間隔がだいぶ開いてしまった。
はてなはプロになってないから、どうしてもお金をかけているワードプレスの方を優先してしまう。
だからはてなで書き始めてもせっかくここまで書いたんだからと思いワードプレスで記事をアップしてしまい、結局はてなでは更新せずじまいだった。
もうはてなは良いかなーと思っていた。無料だから始めるのも早いけどやめるのも早い。
そんな中、とあるブログを見た。もうどこだったか思い出せないのだけど、そこには情報がなかった。ただ感情がつづられていた。
その記事を読んで役に立つかと言われれば特に役に立たないだろう。なんせもう内容もテーマも覚えていないのだから。
別段文章で笑わせてくれるわけでもない。でもなんだか面白かった。
感情が面白いんだろう。
知識とか体験とかそんなのがないとダメだと思っていたけど感情の揺れ動きは共感を呼ぶし、共感しなくてもそういう考え方感じ方があるんだって発見にもなる。
だからそんなことでもいいかって思ってこっちも更新していこうかと思う。
メインの方は体験とか知識とか誰かに直接的に役に立つものを中心にするけど、こちらは取り留めもないことでも書いていく。
メインの方では遠慮していたことでも、こっちなら宣伝もしてないので書きやすい。
twitterはもちろん、友人にも教えてない。
まだ知られてないぶんメインよりも気楽にかけるかなーと思ってる。
まだアクセス数9ですよ、全部で。はてな使って1記事あたり平均2アクセス。あまりの少なさにびっくりしてる。いくらはてなでもちゃんと活動しないとダメなのね。やっぱり。それがわかっただけでもやってみてよかったな。
小さな巨人
ドラマは録りためて一気に見るのが好き。先が気になって待つってのが嫌なので。
そうして今更ながら2017春クールのドラマを見ている。そのうちの1つが「小さな巨人」。
これがなかなか面白い。日曜劇場はハズレが少ないので最近はすべて見ている。少なくとも1話は。これも例に漏れず見ることにした。香川照之さんが好きなので期待していた。
ストーリーは半沢直樹の警察版って感じで、警察内部の汚職や裏切りに立ち向かう主人公を描いている。こういう悪いやつと闘うっていうのはわかりやすくて良い。好きだ。
しかし半沢直樹で味をしめたのかか?
最近のドラマは「やられたらやり返す」「倍返し」のように名言・名フレーズを作りたがっているように見える。同じフレーズが何回も出てくる。
「敵は味方のふりをする」
これがくどい。そして単純すぎやしないか?そこはいただけない。同じセリフを敵味方関係なく色んな人が言う。不自然だ。何回も出てくるたびにイラッとくる。それだけが残念。
半沢直樹と同じ池井戸潤さん原作の花咲舞が黙ってないというドラマも毎度毎度の決めゼリフ「お言葉を返すようですが」がくどくてイラッと来るので観るのをやめてしまった。
この違いはやっぱり共感だろうか。
半沢直樹の「やられたらやり返す」は彼の生き方であるし、視聴者(私)はやり返すところが見たい。だからイラッと来ないし、むしろ楽しみになる。
しかし「お言葉を返すようですが」は生き方でもない。ただの口癖みたいなもんだ。別に共感を呼ばないし、お言葉を返してほしいわけではない。やっつけてくれれば良い。それを水戸黄門のように毎度毎度言ってるようじゃこれもまた不自然。カッコよくもないし。
敵は味方のふりをするも同じだ。ただの事実を述べているだけだし、そもそもそんな世界に生きてるわけではないので共感もしない。
まあ別世界ってことで理解できれば良いんだけど、みんな同じことを言うから警察官ってみんなそんな人たちなんですかって言いたくなる。
でも総合的には十分楽しめた。証拠品が証拠として使うには無理があるように感じたところもあったけど、素人だから実際のところはわからんし、推理モノでもないから細かいところはどうでも良い。
今クールはTBSが良かったな。リバースが一番面白かった。
ふぐの毒の恐怖
先日、娘の誕生日があったので、誕生会を開きたいと妻の母から話があった。
しかも、「ふぐ」を食べようということらしい。
私は恥ずかしながら「ふぐ」というものを食べたことがなかった。いや、正確には最近有名な回転寿司チェーン店に行ったときに食べているのだが、安い寿司はニセモノだったりすると聞くのであまり信じていない。マグロの代わりにアカマンボウだ。
そんなわけで、我が家では行かないような立派な魚料理屋に連れて行ってもらってきた。
しかし、「ふぐ」は毒が怖い。たまに人が死んでいる。
自分でさばいて食べたって人は自己責任。しょうがない。
しかし、お店で毒にあたって亡くなった話も聞くことがある。お店はそれを商売としているんだから、ちゃんとしてくれ!と思うが死んでしまっては何も言えない。怖い。それほどまでにして食べたいものなのか。
恐る恐る食べてみた。うん、旨い。刺身、唐揚げ、鍋で食べた。
刺身はてっさという、ふぐといえばの金持ちが皿を箸でぐるっと絡め取って食べるアレである。コリコリとしていて食感も楽しめ一番旨かった。確かに旨い。スーパーで買うそこらの刺身とは全然違う。
でも、もうこれで満足。庶民の私にはスーパーの寿司や回転寿司で充分。
夕方に帰った私は疲れ果て、そのまま眠るように死んだ。いや、死んだように眠った。気づくとそのまま日が変わっていた。しかし、こんな時間(現在3:38)だ。早寝早起き。毒に当たらず無事に生き残ったらしい。良かった。また眠い。オヤスミ。
プレミアムフライデー
昨日はプレミアムフライデー。ゆえにカラオケに行ってきた。
行ったのはラウンドワン。これがなかなか良い。まあ店舗によるだろうが、部屋はきれいで靴を脱いでソファでくつろげる。音響も良い。
ちなみにスポッチャというゲームやスポーツで遊び放題にもカラオケが入ってるが、あれはダメだ。音響が悪い。カラオケは音響が大事。スポッチャという邪道なものは使わず、カラオケで入らないとダメ。
JOYとくらべて音が好みだし、ミュージックビデオが入っている割合もコチラのほうが高い。
また、DAMは採点機能がしっかりしている。その分、厳しいけど。JOYの分析採点では88点くらいだったのが、DAMの精密採点では79点だった。歌えないので口先だけでごまかして音程だけ合わせればJOYでは高得点になってしまう。DAMでは発声も良くないと得点が出づらい感覚。
歌の内容については、結果から言うと満足の出来であった。
GReeeeNの「愛し君へ」を最後まで歌いきることができたのだ。何言ってんだと思うかもしれないが、この曲は高すぎて歌うだけで大変なのだ。ヒドいときには1番ももたない。
この曲を目下の最終目標としているので、歌いきるスタミナ、高音域があるだけでとりあえずは満足。ただ、ホントに高いところは届いていないのでまだまだではある。
でも満足。あー楽しかった。
ここに有益な情報はありません。
勢いではてなブログを作った。事の顛末はこのとおりである。
万年筆を使いたくて初めた日記。なぜか、文章がブログのようになっていた。
— たかぎし (@Takagishi123) 2017年5月26日
「◯◯と思うかもしれないが」とか一体誰に語りかけてるんだろう。
それならブログ書きたいなと思い、はてなブログを新たにつくった。勢いだった。
しかし、葛藤している。書きたいのは所詮日記である。本来は誰かに読まれるわけでもない。いつも書いている日記は日々の出来事を記録し、ちょろっと感想を述べる程度である。
いくら日記とはいえブログとして書く以上は、読者にとって何らかの得がなければならない。 有益な情報、笑える、共感できるなどなど。
でも、twitterのちょっと長い版ってことにしとけば良いんじゃないか。長めのつぶやき。つぶやきブログ。
でも、誹謗中傷が怖いので書いておく。
ここに有益な情報はありません。